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キリスト信徒やまひでの心の窓

キリスト信徒やまひでの心の窓

自殺はやめられる

小児喘息の苦しさは、横になっていられず、柱に布団を当てがってもらって寝たものでした。でもきびしい発作の時間は、判を押したように1時間でした。1時間を超えると、波がひくように収まったものです。
(1時間我慢すれば逃れる) この経験はボクに確信を与えました。

自殺への心の傾向はこのような「発作による体の痛み」のようなものだと思います。
じっと耐えようと言う決意で、耐えられるものです。
どんなことがあっても、耐える、やらない、決行はしない、という決断をすれば、自殺への心の傾斜は自分で防げます。

聖書の話をさせて下さい。
神様は人類の始祖、アダムとエバに「自由」を与えられたと記されています。
自由の保証の中で、神様はアダムたちに信頼のテストを課しました。
「あの木の実だけは、取って食べないように」
その命令または約束は、アダムたちと神様との信頼を結ぶ絆になりました。
神様との約束は、愛と信頼によってのみ拘束されます。しかし彼らは神様のとの約束を破りました。誘惑をする者の口車に載せられたこと、そしてあの木の実がおいしそうに見えたからです。

「自殺」は禁断の木の実を、もう一度食べることだと思います。
それが、快く、すべての苦しみから逃れる道のように、魅力的だったとしても、また誘惑者が良いもののようにそそのかしても、してはならない、生きることを求められる神様を裏切ってはならないのです。

どうぞ、その実を手に取らないで下さい。

先日(8/27)日記にも書いたボクの友人のこと。
彼の父親も、彼が幼い頃、自ら死んでいます。
ボクはその父親の遺書を見せてもらいました。
堂々としたものです。
「わたしは死ぬが、おまえたちは力強く生きて欲しい」
どうして? あなたが力強く生きないで、どうしてその子が力強く生きるの?
「自殺」は連鎖します。それは神様との約束を破る人間の罪の連鎖に違いありません。「原罪」がここにあります。罪の連鎖を断ち切るのは、信仰による以外にはありません。
神様はその一人子イエス様を十字架の上に犠牲にしてまで、ボクたちを愛して下さったと書いてある。その愛にあなたの苦しみや寂しさを委ねようよ。勇気を出して信頼の絆を結ぼうよ。

ボクの母も未遂者です。
「いざとなったら死ねるから・・・」
こんな思いが意外にも長い間、母を励ましていたのかもしれません。
母の父も、命を絶っています。
愛される者の行動は、それがどんなにマイナス事でも、愛する者の行動の型になります。幸いにも母は信者になりましたので、もう自ら死ぬことはないと思います。

ボクにも時として、心の傾斜があることを告白します。
でも絶対死ねない。ボクは断固として感情に逆らいます。神様を愛しているから、約束を破りたくない。神様を悲しませたくない。

心の痛みは、必ず過ぎ去ります。雲の間から、太陽はじきに顔を出すと信じていますから。



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